料理は別に得意じゃない
けど、暮らし始めてからに比べればどんどん上達しているのはわかる。
ありものでパッと作ったりするのにも慣れた
一番難しいと思っている煮物も適当な味になった。
結局 作るものは 母がわたしに作ってくれたもの それに似たもの
母から特別習ったわけではないけど 知らずのうちに知っている小技たち。
きっと 小さいときから目にしていたからだろう。
ソレを自然にしていることに気づき、子供は親の背を見て育つもの というコトバがよぎる
イマの 遠足ですらコンビニのおにぎりの子供たちはどうなるのかな なんて 社会的なことを考えてみたりした。
近頃は ダンナの会社関係の人を自宅に招くことが増えた。
レパートリーは少ないし、馳走と呼べるものではないものの ダンナの判断の中では 知人を呼べる味なくらいなようで、
作り手としては、
メニューには困るけど、
外食に飽きている人は 味のハードルも低いから助かる。
おいしいかどうかは 食べる速度と量でわかる。
今日も なんとか成功だったかな、と。自画自賛w
でしゃばらない程度に会話に加わり、
足らないものがないか目を配り、
食後のお茶のタイミングを見計らう。
そういうのも すきなのだ。
職業柄できてるだけかもだけど。
妻 してるなぁ と たまに客観的に自分を見ていた。
それをこなしてる 妻 の役割を楽しんでいる。
お客が帰った後
片付け。
コレも 手伝ってくれる できたダンナサマだ。
片付いたテーブルで
静かに語らった後、
疲れたダンナは寝てしまった。
寝てしまうと 自分 に戻る。
ダンナがいないときは たぶん違う自分だと思う。
違う自分。。。
やつ も必要としている自分。
ふと やつと会話がしたくなり 電話をしてしまう。
こんな深夜にでるはずがないと知りつつ 連絡をしてしまう。
と。
でるはずがないと思っていたら、出た。びっくり。
仕事中だった。
たしかに徹夜なんてめずらしくない業界。少し前まではそこにいた。ココにいなければいまもそこにいたハズ。
離れて 少ししか経っていないのに とてもなつかしい大好きな仕事、その空気。
やつを通してその空気に触れると戻りたくなるその仕事。
やつの声、
耳にした一瞬 コトバが出なかった
久しぶりに聞いた声は もちろん前のそのままだけど
ひさしぶりの電話だけでもこれだ。
もしも 会ったら。。。
どうなるのかわかってる。
わかっているから コワイ。
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